No Rest For The Wicked 第 2 話
作者(と訳者)のコメントです。
違うタイプの塗り(シェード)を試したいと思っていたんですが、この回想シーンはそれを試すのにうってつけに思われました。ただ、これが回想シーンだということは最初に見たときにはあまりはっきりわからないようになっています。「ペローはどうなったの??? あの女が殺しちゃったの???」とかいったコメントをもらうのをねらって。 ^^;;
高校で英語の授業を受けた人ならたいていは知ってるタイトルです。ありがちだと思うけど、でも誘惑に逆らえなかった。
[訳注] ロバート・フロスト(Robert Frost)作 “Stopping by Woods on a Snowy Evening” という詩の、最初の一節。アメリカを代表する詩人と言われています。英語圏の高校の教科書では、ポピュラーなようです。
このページをアップしてから、「火にくべたってかまわないさ」というセリフをうけて、一部の方からSandmanは読んだかと質問を受けました。これは、赤ずきんの古い方のバージョン、つまり変装した狼が少女に向かって、もう服はいらないから自分の服を火にくべるように命じるという話にさりげなく言及したものです。そして、私がこのバージョンについて初めて聞いたのは (たぶん他の多くの人と同様)、この話について、Sandmanの Doll’s House 編に簡単な説明があったからです。
『赤ずきんチャチャ』というアニメのシリーズものがあるんですが、これは私にはとても思い出深いシリーズなのです。シリーズ全体でも特に面白い話の一つは、登場人物 (魔法使いの小学校の生徒達) が薄気味悪いキャンプ場に出かけ、斧を振るいホッケーのマスクをかぶったジェイソン・ボーヒーズもどきから一晩中逃げ回るはめになる、というやつ。話の終わりに近づいて、子供たちは何とかそいつをまいて、森の中のうら寂しい小屋の中に避難します。中に入ると、小屋の壁一面がさまざまな仮面で飾られています。「ここに住んでる人って、ホントに仮面が好きなんだね」子供の中の誰かがそう言って、恐怖がじわじわと高まり、振り返ってみると反対側の壁一面には何十もの斧がずらりと・・・。
…なので、私がこの場面を最初に思い描いたときは、このアニメのシーンのもっと直接的なオマージュでした。レッドの小屋の一方の壁に何十もの狼の毛皮がかけられ、その反対の壁に何十もの斧が飾られている、といった。でも、だんだんこれってバカみたいに思えてきたのですよ。:P だいたい、そんなにたくさんの斧をどこから手に入れるというのか? レッドって、斧は一つだけで十分というタイプです。
斧と言えば、レッドが斧を研いでいるのは私の方の都合で、この場面全体を通して、彼女には何か単調な仕事をしておいてほしかったからです。もともとのアイディアは、自分の赤いマントを繕っているというものでした。この場面全体を通して赤い色を使えるという点で、これはなかなかよい案でした。でも、あるときふと思ったのです。「待った。前の場面で、マントは雨でぐしょ濡れになった。まだ濡れてる服で針仕事ってのはまずいんでないかい?」 (なんでまずいかと言われると、よくわかりませんが、でもまあそんな風に思ったのです)。「それに、イバラの藪でも走り回ったんでなければ、針仕事にそんなに時間はかからない! だいたい、あのボロボロの裾まわりを見ても、服の手入れにたっぷり時間をかけたりしないに決まってる! 何かほかの仕事、考えなきゃいけないわね」
[訳注] 訳者は『赤ずきんチャチャ』は見てないのですが、Wikipediaを見るに、第67話「恐怖! 12日の金曜日」あたりではないかと。
このコミックについていろんなことを訊かれましたが、狼に何が起こったのかを尋ねた人はこれまでいませんでした。
このページで、狼の頭を描く参考になるような画像を探してみたのです。わかってもらえますかね、本当に恐ろしい姿の狼の写真を探すのが、どれだけたいへんなことか! Google のイメージ検索で "wolf" と入力すると、何ページも出てくる写真のほとんどは、愛らしい子犬が大きく立派な体つきになったようなのばかり…。だいたい、私たちの祖先はなんであんなに狼をこわがってたんでしょうね? まあ、たしかに人間を殺しますよ、でも、狼ってそりゃもうおっそろしく可愛いんですってば!
3コマ目と4コマ目は、このコミックで初めての — そして今のところ唯一の — カット&ペーストを使ったコマです。ただし、斧の柄のところはいじって、まったく何の動きもないようには見えないようにしました。このコミックを始めた頃は、もうとにかくできる限り自分の手で作業することにこだわっていました。たとえば、黒ベタのところは今でもほとんどすべてマーカーを使っています。Photoshop の塗りつぶしツールを使うのではなく。でも、このシーンを描く頃には、もうずいぶんCGの作業もやっていて、封印する理由もないかと。
レッドが実際に自分のことを話す場面は、まだ一度もありません。いつかそのうち、そういう機会があってもいい・・・のかもしれません。ただ私としては、レッドが「どうも、わたしは~というんだ」とか「わたしのことは~と呼んでくれ」とか言うのを想像するだけできついものがありまして。まあ、我々の知る限り、彼女のことを「レッド」と呼ぶことに決めたのはノヴェンバーということになります、たぶん。
レッドが斧を研ぐときは、ものすごーーーーーーく時間がかかるのです。
小さな星(☆)は、痛みを表しているつもりです。彼女が火花を放っているわけではありません。
[訳注] ☆で打撃や衝撃を表すのは、アメコミではよく使われる表現技法です。筋骨隆々の男たちが格闘しているときに☆が飛んでいたりすることも。
ソフト・シェードはなかなかうまくいってよかったのですが、これにはえらく時間がかかりました。なので、この回想シーンが終わり、今までのフラットな塗りに戻って、そりゃもうホッとしました。
んー…。考えてみれば、このネコ、侯爵の城を出るときには、カバンか何か持っていたような? この荷物は第一話の 44 ページで落としたのです。荷物を取りに戻らなかったのかって? うむ、大事なものは入ってなかったんじゃないでしょうかね。後になって思えば、彼にカバンを持たせたのって、旅に出るみたいに見えるように (ちょっと散歩に出るみたいでないように) するためだけだったような。
最後の三コマは『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』から少々影響を受けているのではないかと見てとった方、完全に正解です。
彼女が言ってる「噂」とは、第一話の 16 ページでペローが話している内容です。
[訳注] 「生臭いネタが…」の原文は、”Does it smell of fish”。”smell of fish”(魚の臭いがする)は、「胡散くさい(“fishy”な臭いがする)」という意。公開当初は、魚という単語を出そうと「魚の臭いでもするってのか?」と直訳にしていました。
[訳注] ノヴェンバーの「いつでも引き返して、家に戻ってもらって・・・」の原文は、第一話 p42のセリフとまったく同じ。
しかしまあ、このネコはどんだけ長台詞が好きなんでしょうかね? 実のところ彼のキャラだとセリフを書くのがホントに楽。と言うのも、彼って性格的に会話をどんどん続けて、ぎこちない間(ま)をうまくつないでくれるので。ただ、ページのレイアウトが、もうとにかく厄介。吹き出しの面積が半端じゃないから。X__x
[訳注] 訳す方も大変です。
もちろん、この視点(パースペクティブ)でこれだけのバラを全部描くのは、それはそれは難儀なことでしたとも! 訊いてくれてありがとう。
「と、こうおもって、ついと横道から、その中へかけだしてはいって、森の中のいろいろの花をさがしました。そうして、ひとつ花をつむと、その先に、もっときれいなのがあるんじゃないか、という気がして、そのほうへかけて行きました。そうして、だんだん森のおくへおくへと、さそわれて行きました。」 ~ 『赤ずきんちゃん』グリム兄弟 (楠山正雄訳)
あの、違いますから。このシーンって、『マリア様がみてる』を見過ぎたせいでできあがった副産物なんかじゃありませんから。絶対ちがいますって! いや、ホント。(この後、レッドは桜のところへ行き、気が抜けたように桜の花を三時間ばかり眺めていました)
[訳注] 上記、最後のセンテンス。元ネタは断片的にしか見たことがないので確たることは言えませんが、文面から察するに『マリア様がみてる ~春~』のエピソードではないかと。
このネコときたらよほどしゃべるのが好きなのか、自分一人しかいないときでもしゃべり通しです! もちろんそれなりに理由があって、心の中の考えを示す吹き出しで大量にページが埋まるのはあまり気持ちよくないだろうと思ったからです。
見てのとおり、魔法を確かめる方法は、本物の金かどうかを確かめるときと同じ・・・噛んでみるのです。実のところ、金かどうかを確かめるのに噛んでみるというのがいったいどういう道理なのか、私には理解できないのですが。実はその金属が金メッキされた鉛だったとしたら、噛んでみるってのはかなりまずいような気がするのですが? 実生活でも、コインや宝石を噛んで本物かどうか確かめている人は見たことありません。でもね、マンガの中でやってるのは見たことがあるのですよ。なので、これは真実に違いないのであります!!!
「隣の部屋は図書室で、彼女は自分が読みたかった本や、読んだことのある本がすべてあることに気付きました。そこには、本の題名を読むだけで一生かかるんじゃないかしらと思うほど、たくさんの本があったのです。」 ~Beauty and the Beast” (Andrew Lang 版、拙訳)
私がこのページで描いた図書室は、これに比べたらずいぶんささやかなものですね。ここはたぶん、その…図書室の閲覧書架の一画とか? あ、そう。それです、ハイ。
…野獣が本当に「Eros and Psyche (エロスとプシュケ)」の本なんて読むんでしょうかね?
[訳注] 「エロスとプシュケ (Eros et Psyche)」はギリシャ神話の一つ。作者がぼかしているところをネタばらしみたいになりますが、『美女と野獣』の原型と言われている物語です。http://members.jcom.home.ne.jp/westwing2/story2.htmに概略が。
その横の書籍は、”Pentamerone” と記されているようで、十七世紀イタリアの詩人ジャンバティスタ・バジーレによる『ペンタメローネ(五日物語)』を指していると思われます。主にイタリアの、昔話や民話を編纂したもの。筑摩書房から邦訳が出ています。
"次に、珍しい鳥でいっぱいの鳥小屋がありました。鳥たちはとても人になれていて、ビューティの姿を見ると飛んできて、彼女の肩や頭に止まるのでした。「かわいい小鳥さん」彼女は言いました。「鳥小屋が私の部屋の近くにあれば、あなたたちの歌声をもっとよく聴けるのに!」" – Beauty and the Beast (Andrew Lang 版 拙訳)
なぬっ、鳥小屋全体を描けとな? 図書室でさんざん苦労したというのに? それに、ここで鳥小屋って何か変でしょ。
野獣のデザインは大変でした。理由の一つは、ディズニー版のデザインがホントによくできていること。恥も外聞もない猿まねにならないように、気を配らなければなりませんでした。私は、野獣を少し狼っぽくしたいと思っていました (たぶん、後でレッドとやり合うときに具合がよろしいように^^;; )。その反面、狼男みたいにはしたくなかったので、他の獣的な特徴をいくつか放り込んでみたのです。ライオンの尻尾とか、変な恐竜の脚とか (この脚はそりゃあ面倒でしたとも、ええ)。角も付けようかと思ったのですが、これをするとどうも草食動物風になりすぎるのですね。彼はどうしても肉食獣に見えてほしかったので。
「俺の名前は『閣下』などではないわ」怪物はそう言い返しました。「ただの野獣だ。俺はお世辞などまるで好かん。素直にものを言うやつが好きなのだ。うまくおべんちゃらを言えば、俺の機嫌が取れるなどと思わんことだな」 – Beauty and the Beast (Jeanne-Marie LePrince de Beaumont 版 拙訳)
…と言うわけで、真実が明らかに - 野獣は尊大で悪者ぶった口の利き方だけど、本当はすごく泣き虫やさしい気性なのですね。野獣が言ってた「首をはねる」云々、本当にそんなことをやってたのだろうかとお悩みの方がもしあれば、「絶対、そんなことはありません」というのが答え。思うに、ペローはどうもこのことに薄々気付いていたようですね。なので彼は、レッドに初めて会った時みたいに丘に向かって逃げ出すのではなく、野獣と臆さず相対しているわけです。
でもって野獣の方は、このネコがまだ「閣下」と言ってるのですが、そのことに気付いていない様子。どうやら彼の注意力にはムラがあるようです。
もう一度言っておくと、野獣の脚ってホントに厄介でした。いったい何を考えてたんだか。それと、野獣っていつも体のサイズを変えてるみたいに見えますね。
"「明日には着いているだろう」野獣は言いました。「だが、約束を覚えていておくれ。ここに戻りたくなったら、寝る前に指輪をテーブルの上に置くだけでよいのだ。では、さらばだ、ビューティ。」" ~Beauty and the Beast (ボーモン版 拙訳)。
"「戻ってくるのに、馬車などはいらぬ。その前の晩、兄上、姉上に別れを告げ、寝床に入ったら、この指輪を指に付けたまま回してこう言うのだ。『館に戻って、野獣さんにもう一度会いたい』とな。では、お休み、ビューティ。ぐっすり安らかに眠るがよい。さすればもう一度おまえの父親に会えるだろう」” ~Beauty and the Beast (Andrew Lang 版 拙訳)。
『美女と野獣』のストーリーを取り入れようというアイディアが浮かんでから、この物語ではビューティが野獣の宮殿と父親の家を魔法で瞬時に移動できること、それには指輪が絡んでいたことを思い出すまでには、結構な時間がかかりました。上記のどちらの版でも、指輪自体が魔力を持っているのか、野獣の城の魔法全体の中の一部にすぎないのか、直接には記されていません。このコミックでは、指輪自体に魔力があるということに決めました。この道具があれば、登場人物の一人が、ある場所からずいぶん離れた場所へと移動でき、今後のプロット上、きわめて便利な道具になりそうだと思ったからです。まあ、たぶん、ですけどね。いずれわかることでしょう。
ペローによる「ビューティ(美貌)」の想像図は、1970年代の少女マンガの主人公みたいな、不気味なうるうるした目にしようとしたのですが、どうもいまいち。ていうか、むしろかわいくなったような気も。まつげ(と、リボン)を見れば当然、この子が女の子ってことはわかりますよね。
[訳注] 日本では『美女と野獣』のヒロインの名前は仏語の「ベル(Belle)」が最も一般的です(ディズニーのアニメーション版でもそうなっています)。ただ、英訳(Andrew Lang版)の『美女と野獣』では「ビューティ(Beauty)」となっています。こういう場合、日本で最も普及している表現に合わせたいところなのですが、言葉遊びとも関係するためルビを使って「ビューティ」としています。
ただ、上記のようなルビを使った処理は、そのまま音読できないという難点があります。そこで原文から大きく外れてしまうのですが、ルビを使わないバージョンも作成。名前を「ビューティ」でなく「ベル」とした、かなり強引な「翻案」です。文意を大きく変えるのはやはり問題なので、あくまで「裏」バージョンです。
ちなみに、ここで野獣がネコのことをもっと汚い言葉で呼んだものかどうか、結構な時間、悩みました。^^;;
これより前に、『長靴をはいた猫』に関する短篇で"カラバ侯爵"という名前を使ったことがあります (このコミックのストーリーとはまったく関係ありません)。どちらの場合も、『ネバウェアNeverwhere』を参考にしたのかと訊かれました。ニール・ゲイマンの熱狂的なファンを自認しながら何ですが、恥ずかしながら『ネバウェア』は(それに『スターダスト』も)、実は読んだことがないのですよ。でもまあとにかく、私はこの名前は、オリジナルのシャルル・ペローの『長靴をはいた猫』で、ネコが自分の主人にでっちあげた名前としてよく知られていると思っていました。名前の由来は、オリジナルの方なのです。
[訳注] ネコをののしっているときの言葉、原文は”You stripe-tailed son of a weasel”。翻訳では、少しヨコシマ度をアップして、『横縞しっぽのイタチ野郎』としています。
“ミストレス” については、日本語の地口や言葉遊びで何とか処理できないかとあれこれ考えたのですが、力及ばず、ルビで処理しています。
ただ、やはり音読できないという問題があるため、ルビを使わないバージョンを強引に作成しています。心は貴族な野獣にしては言葉が汚いのですが、ちょっとほかにやりようがありませんでした。内容も、原文から大きく外れた翻案です。もちろんこれも「裏」バージョン。
『美女と野獣』が物語っているのは、「野獣のような見かけにだまされてはいけない。大事なのは、心の優しさである」ということ。『赤ずきん』が物語っているのは、「人の良さそうな振る舞いにだまされてはいけない。どんな歯をしてるかを確かめるように」ということ。となると、衝突や誤解が生じるのは、当然というもので…
高さのある建て物のシーンになると、私もう絶望的ですね。たぶん、背景全般に弱いこと、特にインテリアや建築物に弱いのが関係しているのでしょう。だいたいにおいて、あるシーンが起こる部屋の配置について、ぼんやりとした考えしかないことが多いのです。そんなわけで、物語がこの場面になった時点になってようやく、ここでレッドが図書室の二階から現れたらもっとドラマチックになるぞ、と気付いたのです。でも、彼女いったいどうやって二階に上がったんでしょうね? 図書室への別の入り口が二階にある…ということにしておきます。どこか、29 ページの場面では見えない、都合のいいところにあるのです、きっと。 -__-
[訳注] 一応「ベル・バージョン」を用意してあります。
これまで言ってきたように、私は建物を描くのが得意ではないのです。このシーン全体で、登場人物がどこに立っているか、どこに向かって動くか等々を把握するために、ちょっとした図を描く必要がありました。これで何もかも完璧と思っていたんですね。ところが、このページの 2/3 ほどペン入れした時になって、3 コマ目で互いの顔の向きが違っていることに気がついたのです。>____< 幸い、Photoshop の魔法を使ってどうにか直すことができましたけど。オリジナルのページのスキャンはこちらに。
[訳注] 上に書かれた「ページのスキャン」はもうないみたいです。
どう見ても、レッドは「デッド・オア・アライブ 3」のやり過ぎ。
このページ、もともとは 42 ページになる予定でした。で、このページ が 41 ページになるはずだったもの。レッドと野獣の格闘シーンはホントに描く気がなかったわけです — 難しかったからというのが理由の1つ。でも一番大きな理由は、野獣が気の毒になったからなのです。 -__- そこで、格闘シーンはごく短く、ほとんど画面に登場しない形でいくことにしました。初期のスクリプトでは ("スクリプト"とは、まるで私がこのマンガでスクリプトを書いてるみたいな言い草ですが)、このことに関して、ノヴェンバーとペローの会話が必要だったのです。ですが、この回の話を描いていくうちに、最初に考えていたどんな重要な情報や山場も別のところで処理すればよい、この場面はそれとは関係なくいくことにしよう、と最終的に調整しました。この考えは、当初の 41 ページのペン入れ中に思ったことで、– たとえ、このページのポイントは格闘がすぐに決着するということを述べるだけだったとしても… 格闘の片がつく様子に直接切り込んでいった方がシンプルだし、パンチも効いてますもんね?
で、おわかりと思いますが、私が本当にスクリプトを描いているとしたら、使いもしないページを描くので時間を無駄にすることもないわけなのですよ。>__<
[訳注] 上に書かれている「41 ページになるはずだった」幻のページも、もちろん訳出してあります。
第二話を描く前は、ビューティのデザインが野獣のデザインよりずっと難しくなるとは思いもよらなかったです。どうにかまとめてみた髪型も、まだ不満だし。問題はもちろん、このコミック全体で女性キャラがあまりに多すぎるってこと! 特に若くて魅力的な女の子が。この子たちみんなをそれぞれ違うようにデザインするというのは、それはそれは大変なことなのです。
告白いたしましょう。この第二話全体は、基本的に、ここのギャグのために生まれたものなのです。まだこのコミックの組み立てを考えていた頃のある日、たまたま『美女と野獣』を読み直していたら、戯れにこんなことを思いついたのです — 「ビューティが、死にかけている野獣を見つけることになったのは、野獣がやせ衰えたからじゃなくって、レッドが先にそこにいて野獣を打ちのめしたからだったとしたら、面白いんじゃない?」・・・これが、こんな風になっちゃったです。 ^^
ビューティは、ここで起こった犯罪の影に気付いた様子がないですね。野獣のまわりのガラスに気付くだろうと思うかもしれません。さりながら、彼が生きる意欲を失ったことにより窓から飛び降りたのだと彼女は考えたわけでして (ええ、ガラスの窓を開けずに飛び降りたのですがね)。
実は、ビューティが少しよそ見をして、もう一度野獣を見るとそこには人の姿に戻った野獣が…というOmake(オマケ)のコミックを考えていました。このまったく見知らぬ人物(おそらくは、野獣の私有地に忍び込んだ変質者[サイコパス])の出現に、彼女は度を失って叫び声を上げ、彼を追い出してしまいます。でもこのコミックは描きませんでした。私が面倒くさがりというのもありますが、それより何より、野獣にとっては今でも十分に厄日だよな、と思ったので。 -__-
[訳注] 前話の注釈で、”chibi”のような妙な単語が、日本マンガ/アニメ愛好者の間で常識的なボキャブラリになっていると記しましたが、ここの”Omake”もその一つ。
もしペローが騎士道精神旺盛で、この指輪を好きなように使っていいとノヴェンバーに申し出たとしても (彼はそんなタイプじゃないけど)、どのみち彼女が使うことはできません。この指輪を使うには、眠らなくちゃいけないのです。
第一話のここ、ペローが部屋を出てノヴェンバーが地図を眺めるところ、覚えてますか? 彼女はあの本を持って行くというのが当初の予定で、このページの場面につながってくるはずでした。そもそも、この場面も第一話のどこかに挟むことを検討していました。でも、うまく収まる場所が見つからず、最終的には第二話の方がずっとうまく収まると判断したわけです。野獣が、大きな図書室を持っててくれて大助かり。もちろんその結果、第一話にちょっと無駄な場面が残ったわけですが… ^^;;
オーガストとセプテンバー、再登場。前回出てきたのは、一番最初のページです。姉たちのことも、もっと取り上げたいもの。ってか、今気付いたのだけど、オーガストって、たしか男の子の名前でしたっけ? ドゥオ。 -__-
ともかく、ノヴェンバーの母親は変化を付けるため、両腕になってます。
地図の黒くなってるところは、海ではなく、森です。お気づきでない方のために、念のため断っておくと、この世界は、それはたくさんの森で埋まっているのです。
[訳注] 「世界の終わり (The end of the world)」 は一般に「世界の終焉」を指すことが多いのですが、ここでは基本的に「世界の果て」(World’s end) という意味で使われています。ただ、両方の意味がかけられている可能性は高いです (実際、あるインタビューで作者自身、その両方の解釈があることに言及しています)。ここでは、一応どちらの意味にも取れるように、「世界の終わり」と訳出しています。
あと、念のため野暮を承知で言っておくと、この世界は天動説で動いております。第一話 43pでもチラッとそんなことが。
上にも記したように、この章のタイトルは、ロバート・フロスト(Robert Frost)の「雪の夕暮れ、森のそばにたたずみ(Stopping by Woods on a Snowy Evening)」という詩の、第一行から採っています。
信じてもらえないかもしれませんが、このページのペン入れをするまで、まったく気付いていませんでした。この詩の最終行が、「幾里もの道のりを行こう、眠るのはそれからだ(And miles to go before I sleep)」であるということに。
ホントに、これって計画してなかったことなんですよ。^^;;;
[訳注] この詩の邦訳は、『新・ちくま文学の森 6』に収められているようですが、未確認。上記の引用箇所は拙訳です。また、著作権的に微妙なのでリンクは避けますが、ネット上で検索しても邦訳が見つかる模様。
* 意訳で粗いですが、ご容赦を。