No Rest For The Wicked 第三話
作者のコメントはまだ準備中らしく、それまでは訳者による注記のみです。作者のコメントが届いたら(たぶんあれこれかぶるので)訳注は刈り込むつもりですが、それまでは訳者のつぶやきにおつきあいください。
[訳注] 原文の章題は “A Modest Proposal”。ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift。『ガリバー旅行記』の作者でもある、英国の風刺作家)の筆による『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』 (A Modest Proposal: For Preventing the Children of Poor People in Ireland from Being a Burden to Their Parents or Country, and for Making Them Beneficial to the Public) のタイトルを指しています。
その内容は、「…膨大な数の貧民が数多くの子供を抱えて飢えるアイルランドの窮状を見かねて、彼らに経済的な救済をもたらすと同時に人口抑制にも役立つ解決策を提案した。その提案とは、貧民の赤子を1歳になるまで養育し、アイルランドの富裕層に美味な食料として提供することである。」(引用元: Wikipedia)…というもの (もちろん、当時の激烈な貧困に対する無策を強烈に皮肉っているわけです)。青空文庫に全文が収められているので、興味のある方はこちらからどうぞ。
なお、ストーリー上、字面どおりの意味合いも含まれていると考えられ、翻訳は「つつましき申し出」としています。
ノヴェンバーやレッドが手にしているのは、ジンジャーブレッド・マンのクッキー。パン屋(子供のない老夫婦のパターンもあり)が子供の形をしたジンジャーブレッドをこしらえ、食べようとするが逃げられて…という、このクッキーにまつわるおとぎ話があります。
[訳注] 翻訳の心構えとして、自然な表現にすることを最優先にしつつ、あまり極端な意訳はしないように心がけているのですが、このページではその原則を少し踏み越えたところがあります。
「…あなたには、かつて宮殿に住んでいた人の匂いがする」=”…You strike me as someone who has lived in a palace before.” 「あなたを見ると、かつて宮殿に住んでいた人が思い出される」といった意味ですが、どうもセリフとしてスッキリした形にならず「匂い」とあいなりました。うーん。
[訳注] 「私、何やってるんだろ?」は第一話のp8、p19でも出てきます。ありふれた表現なので、口癖と言えるかどうかは微妙ですが…。ただし、このページでは「まったく (Good lord)」はなし。
[訳注] 「何が言いたいの? “自己犠牲”…? (If you say “Altruistic” -)」。訳文の最後を “自己犠牲” で終わらせたかったのでこうしたのですが、ややぎこちなさがあるかも。カエルが出てくるタイミングにこだわらず、意訳気味に「どうせ私に “自己犠牲” は似合ぃ…!」とでもした方がよかったか、迷いは尽きません。
ノヴェンバーが “Mater Perrault” というときは、原則「ペロー」と呼び捨てにするのですが、ここは数少ない例外。少し弱気+反省の色ということで。”Master” の訳については、第一話のここでぼやいています。
[訳注] “brother” の訳出は困りもの。その理由は…まあ後ほど。次のp36も同様です。
[訳注] 「ネズミか何か」の原文は “vermin”。ネズミに限らず作物に悪さをする「害獣」の意味で、イタチなんかも含まれます。害獣ではセリフとしてどうかということで、このような訳に。
ペローのセリフで「ノヴェンバー」となっているのは、原文どおりです。
[訳注] 「大バカを入れとくには狭すぎる」=”I can’t believe there was room in there for your fat head”。”fat head” は「間抜け」などの意。たっぷり食べて”fat”だろうから十分なスペースがないことと「間抜け」とをかけているわけですね。・・・こういうのの解説は我ながらつまらないですが、まあ。
[訂正] 最初のアップ時には、アンナがクラウスを「お兄ちゃん」と呼んでいたのですが、「クラウス」と名前で呼ぶように改めました。
この二人の年齢差が気になって作者に訊いてみたところ、実はというか、やっぱりというか、双子だとのことでした・・・。クラウスの方がほんのわずか先に生まれたそうで、一応「お兄ちゃん」なのですが、互いが呼び合うような場合にはやはり苦しい。もう少し対等な口調になるように修正しました。更新当初とは異なる印象になってしまった方も多いと思います。もう少し早めに確認しておくべきことでした。謹んでお詫び申し上げます。
[訂正] 前ページと同様に、アンナが「お兄ちゃん」と呼んでいる箇所を、「クラウス」と名前で呼ぶように改めました。
[訳注] 最後の二つの吹き出しが見にくくなっていますが、オリジナルがこのような具合になっているので、それに準じています。
作者の当時のコメントによると、このシーンは元々 “Watchmen” の第六話、ロールシャッハの生い立ちの章に対するオマージュを意識していたとのこと。
“Watchmen” は Alan Moore 原作のアメコミ。アメコミ稀代の傑作と言われており、訳者もそう思います。日本語版も出ていたのですが、プレミアが付いちゃってオークションなんかでは数万円することも(…とてもじゃないけど買えません)。ロールシャッハはその中の登場人物で、ダーク寄りなヒーローです。なお、”Watchmen” は『300』のザック・スナイダー監督で映画化される(2008年公開予定)との情報もあります。
[訳注] 「南無三(にゃむさん)」の原文は、”GOD’S TEETH AND TAIL”。
“GOD’S TEETH” は、驚きや困惑、恐怖なんかを感じたときに挙げる間投句。ちょっと古めの表現なので、こんな風にしてみました (仏教用語なのが、アレですが…)。
“God’s” の後に来るのは、本来 “Teeth” や人の体の一部なのですが、ペローは獣の性(さが)が出てしまい “TEETH and TAIL” とのたまっています。なので、少しだけネコらしさを強調してみました。
[訳注] このページや前のページを見ると、ヘンゼルはグレーテルより年下の設定になっています。これまで英文では何度か”brother”という単語が出ているのですが、魔女のいう”brother”は「弟」を指し、アンナのいう”brother”は「兄」を指すことになり、翻訳としては悩みどころ。
英語としては何も矛盾を感じさせない表現なので、日本語でも特に矛盾が生じないよう p35 では「兄弟」とあえてぼかした訳出を採用しました。が、狂気の一端(年齢差の矛盾に気付かない)を示すべく、このねじれをそのまま出してもよかったかもしれません。
最後のセリフ。前後のつながりやらでどうもビシッとはまらず、少し意訳に (最初はもっと崩していたのですが)。この辺のさじ加減は、まだまだ迷うことが多いです。
→ んー、後で読み直すと意訳と言うほどでもないか。迷ってばかしなことだけは確かです。
[訳注] (擬音をめぐる考察1)
ここからしばらくアクションシーンになり、翻訳が楽になるかと思ったら、擬音に結構手こずりました。
“THWOK” は、辞書に”thwock”で「バシッ」などとあるのですが、ちょっとこの場面にはハマらないようです。こういう場合は、音をひっくり返してから手直しするとよいようです。「スオック」→「クオッス」→「グオッス」→「ゴスッ」→「ガスッ」(刃物があたる音なのでゴス→ガスに)。
[訳注] (擬音をめぐる考察2)
擬音に苦労しているとは言っても翻訳の絶対量は少ないわけで、穴埋めというかなんというか、どうでもいいことをここに書いていたりするわけであります(作者のコメントが掲載できるようになったら適宜削除するつもりです)。そもそもどれだけの人に読んでもらえているのか、甚だ疑問ではあるのですが…。
さて、”CRASH” は、何かにぶつかったり、ものが壊れる音。棚とかビンとかいろいろ壊れてますが、壁への衝突音と打撃音に重点を置いて「ドガッ」としてみました。
作者の当時のコメントによると、”BAM” は元々 “KLONG” としていたそうです。これが “Three Stooges” (『三バカ大将』という古いコメディ映画)チックなのでやめにしたと。その辺もふまえて、ルビは「グォン」に(ルビなしでいいような気もしますけど)。
[訳注] (擬音をめぐる考察3)
ここの”CRASH”は「ベキッ」に。鉄鍋が壊れる音というのはなかなか難しい。
[訳注] (擬音をめぐる考察4)
“CRNCH” は “crunch(かみ砕く)” から転じて、「バリッ」と。日本語では動詞が擬音になっている例は少ないと思うのですが、擬態語には「なでなで」や「フリフリ」みたいな動詞由来のものもありますね。
余談ですが、日本語の擬音で個人的にすごいと思っているのは、「シーン」。音がないことを表す擬音というのは、哲学的ですらあります。日本マンガの英訳では、”SILENCE” とされていたのを見たことがあります。・・・なるほど。
[訳注] (擬音をめぐる考察5)
“THUD” はこれまでにも何度か出てきている擬音で、「ドサッ」。これも英語の音「サドッ」をひっくり返したような案配です。
…そろそろネタも尽きてきたので、ここらで擬音をめぐる考察、幕としたいと思います。
[訳注] ・・・クリスマスなのに悪趣味ですいませんでした。ページ下部に書いておいたように、元々は2006年のエイプリル・フールに掲載されていたものです (p45とp46の間だった模様)。
今回の掲載にあたって作者には断りを入れました。快諾してもらえたのですが、その返事に「でも、日本語でスクービー・ドゥーのジョークってどうなるのかしらね」と添えてあったのには焦りました (訳者はまったく気付いておらず)。慌てて調べてみると、どうやらマスクをはぎ取るのはスクービー・ドゥー(テレビアニメ版)の定番だったらしいです。調査はつかなかったのですが、締めにお言葉が入ってくるあたりも、スクービー・ドゥー由来なのかもしれません。
・・・まあ、元ネタを知るまでもなく楽しめると思うのですが、ご参考までに。
それと、最後のお言葉の由来は、WIGU というウェブコミックにあったもの (Violence is never the answer except when you ask the right question.) をいじったのだそうです。
2008/12 追記: 誤訳がありました・・・。原文の frame(枠にはめる) と flame(燃える) を見誤るという、いかにも日本人的なしょっぱいミス・・・(恥)。申し訳ありませんでした。現在は修正済みです。
[訳注] 「来るな」と言っていたのは、60 ページでのこと。原文は “Get out” です。語感が似ているので「逃げろ」と訳したかったのですが、このページでつながりが悪くなるので「来るな」に。こういう簡単な言葉はいろいろ訳しようがあるので、かえって難しくなることがあります。
[訳注] 第二話で既出ですが、1コマ目の☆は、痛みを表すもの。アメコミでよく見られる表現です。
これも既出ですが、針仕事は元々第二話で作者がやらせたかったこと。
[訳注] 「黄金の木」というと、作者も参加しているGoldenという合作ウェブコミックが連想されます。このGoldenは黄金の実がなる木をめぐる物語でしたが、それよりはちょっとグレードアップしているような。
[訳注] 長きにわたった第三話、これにて完結です。
この第三話はさまざまな「親と子」について語られているのも面白いところです。超放任、放逐、捕食と、どの親子関係もあまりまともではありませんが…。